「蒲田って、変な人ばっかりいるんでしょ?」
なかなか遠慮のない質問である。これから蒲田で飲もうと誘っているのに、こちらは街の治安担当者のような説明を求められる。餃子の話をしたかっただけなのに、まず住民の弁護から始めなければならない。

このイメージに一役買っているのでは、と感じるのが「月曜から夜ふかし」だ。もちろん、番組によって蒲田の評判がどれだけ変わったのか、数字で確かめたわけではない。ただ、番組と蒲田の個性的な人々が結びついて語られることはある。街を紹介するSUUMOタウンの記事でも、その連想に触れつつ、学生を含む幅広い人たちが行き交う日常が描かれている。
タイトルでは「イメージ悪化に貢献」と少々意地悪く書いたが、番組が面白いことと、街全体の印象として受け取ってよいかは、別の話だと思う。
街頭インタビューで、思いもよらない返事をする人が登場する。こちらの予想を軽々と越える人生観が飛び出す。その瞬間は、確かに面白い。でも、強烈な一人を見た記憶が、いつの間にか「蒲田の人って、ああいう感じなんだ」に広がってしまうと、話が少し違ってくる。
たとえば、仕事帰りにスーパーで豆腐を買い、洗濯物のことを考えながら帰宅する人がいたとする。その人の夜も、街の立派な日常だ。ただ、テレビで見て盛り上がるかと言われると難しい。「今日は木綿ですか、絹ですか」で何分も持たせるには、相当な技術がいる。
一方、数秒で忘れられない印象を残す人もいる。そういう人が記憶に残るのは自然だ。問題は、記憶に残らなかった人たちまで、その印象でひとまとめにされることだろう。画面の外では、大勢の人が普通に働き、買い物をして、明日の予定を気にしている。
そもそも「個性的な人がいる」と「変な人ばかり」は、ずいぶん違う。さらに、それを「危ない街」にまで変換するのは飛躍がある。面白い受け答えをすることと、誰かに迷惑をかけることは同じではない。街の安全について考えるなら、笑える場面の印象とは分けて見たい。
番組に出てくる蒲田が、いつも奇抜な話ばかりというわけでもない。2026年1月26日放送の「捨てられないモノ」を尋ねる企画では、蒲田で出会った男性が、子どもとの思い出の写真を挙げていたと放送内容の記録にある。ちゃんと、そういう蒲田も映っている。受け取る側が、期待した「濃い蒲田」だけを覚えている可能性もあるのだ。
とはいえ、日常会話で毎回ここまで説明するのは、なかなか大変だ。「蒲田ってすごいんでしょ?」という軽い雑談に、こちらだけ街の多様性について発表を始めるのも温度差がある。結果、「まあ、個性的な街だよね」と、角の立たないところに着地する。
すると相手は「やっぱり!」と納得する。こちらは会話を終えただけなのに、向こうでは裏付けが一つ増えている。蒲田のイメージを育てているのは、テレビだけでなく、こういう便利な相づちなのかもしれない。訂正する時間で一杯飲めると思った私にも、多少の責任はある。
だから、蒲田を知らない人には、一度、普通にご飯を食べに来てほしい。珍しい人を探すためではなく、食べたいものを食べて、駅まで歩いてみる。そのくらいの訪れ方でいい。
何も事件が起きず、おいしく食べて帰る夜もある。テレビなら見せ場が足りないかもしれないが、仕事帰りのこちらには、それで十分だ。月曜から毎晩、取れ高を求められても困るのである。


